公津ヶ原古墳群5号・6号|千葉県成田市の古墳

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公津ヶ原古墳群6号墳
公津ヶ原古墳群6号墳

公津ヶ原古墳群5号墳
公津ヶ原古墳群5号墳


基本情報

場所:千葉県成田市赤坂2丁目付近
墳形:円墳



周辺環境及び詳細

公津ヶ原古墳群5号・6号は船塚古墳天玉船塚2号墳がある赤坂公園の南側に位置しています。

ボンベルタ成田の裏側にある一見するとただの空地に見える場所に2基並んでいます。


千葉県の北部に位置する手賀沼・印旛沼周辺には多くの古墳が分布し、なかでも方墳として東日本最大級を誇る古墳を含む「龍角寺古墳群・岩屋古墳」とともに、公津原古墳群は千葉県を代表する古墳群として知られている。


公津原古墳群はすでに江戸時代からその存在が知られていたが、本格的な研究は戦後になってからのことである。その後、昭和44年(1969)10月から昭和46年(1971)8月にかけて、成田ニュータウンの建設に伴って64基の古墳が発掘調査されて以来、多くの古墳が発掘調査され、公津原古墳群の内容が明らかになった。


公津原古墳群は、総数120基を超える古墳群で、分布から3つの支群に分けられる。南から、瓢塚(ひさごづか)古墳群(前方後円墳1基、方墳19基、円墳30基)、天王・船塚(てんのう・ふなつか)古墳群(前方後円墳3基、方墳9基、長方墳1基、円墳33基)、八代台(やつしろだい)古墳群(前方後円墳3基、方墳6基、円墳25基)の3支群がある。これらのうち、ニュータウン開発により消滅した古墳も多いが、現在、38基の古墳が史跡に指定されて保護されている。造営開始年代は早く、4世紀の前半から7世紀の後半まで長期間古墳は造られている。とくに天王・船塚古墳群には、6世紀代と推定される大型古墳が所在する。しかし、7世紀に入ると大型古墳が造られなくなり、岩屋古墳やみそ岩屋古墳が造られる龍角寺古墳群と対照的となる。

千葉県HPより引用>>

アクセス

電車・バス:「下館」から徒歩30分
車     :県道14号線徳持付近を斜め左


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