石上津ミサンザイ古墳|履中天皇の墓か?大阪府堺市の前方後円墳

ホーム > 古墳探訪記 > 大阪府の古墳 石上津ミサンザイ古墳|履中天皇陵墓 苔玉や羊毛、スイーツなどで前方後円墳を自作する古墳ビルダーは世の中に数多くいます。 かくいう筆者もその一人。 植木鉢や羊毛前方後円墳などいろいろな素材でいろいろな古墳を築造してきました。 ではその墳形はどうしているのでしょうか。 なるべくリアルな形に近づけたいとき、筆者がいつも選ぶのがこの石上津ミサンザイ古墳です。 なぜならとても美しいから。 いや、何度見ても美しい。 基本情報 場所: 大阪府堺市西区石津ヶ丘 墳形:前方後円墳 築造時期:5世紀 大きさ:墳丘長365m、前方部幅 235m、高さ25.3m後円部直径205m、高さ27.6m、 三段築成、二重濠   埋葬施設: 竪穴式石室 埋葬品:不明 出土品:蓋型、家型、靭形などの多量の形象埴輪 周辺環境及び詳細 大仙古墳より早い5世紀初頭の築造と思われている。 大きさは、日本で3番目の大きさを誇る。 構造としては、前方部を南側に向けた前方後円墳で、墳丘は3段築成である。 西側のくびれ部には造出しがあり、主体部の構造や副葬品などは不明だが葺石と埴輪があったことが分かっている。 現在は一重の盾形周濠と堤がめぐっているが、平成6年(1994年)の調査で、現在の周濠の外側に幅10m程の2重目の周濠が見つかっている。 江戸時代の記録で、後円部中央に大きなくぼみがあったといわれていることから、この頃すでに盗掘を受けている可能性がある。 宮内庁により第17代履中天皇の陵墓「百舌鳥耳原南陵(もずのみみはらのみなみのみささぎ)」に治定されているので立ち入りは不可能なため拝所から見学するしかない。 大きさのせいで地上から見るとただの森にしか見えない。 2019年登録名称「百舌鳥・古市古墳群-古代日本の墳墓群-」として世界遺産に登録された。 古墳ギャラリー 前方部側から撮影 遥拝所 アクセス 電車/JR阪和線上野芝駅下車徒歩約約5分 バス/南海高野線堺東駅から堀上緑町一丁行き・東山車庫前行きバスで南陵通四丁下車、徒歩5分。 一緒に回れる近くの古墳 ここn

古墳の基本

古墳の基本

古墳(こふん)とは、日本史上、3世紀後半から7世紀前半に築造された墳丘を持つ古い墓のことである。古代の東洋では位の高い者や権力者の墓として盛んに築造された。日本では、3世紀後半から約400年間、盛んに造られました。土を高く盛り上げた墓(墳墓)は北は北海道から沖縄まで分布している。朝鮮半島南部にも前方後円墳は見られ、どちらが先か議論されてはいるが、朝鮮半島の前方後円墳は5世紀後半の築造と考えられるため日本から伝来したとみるのが一般的である。古墳は当時の階層の高い人・権力者によって造られた。天皇の墓のことを古墳と呼ぶと思っている人も多いが、天皇だけでなく地方の有力者(豪族)も盛んに墳墓を築造した。特に埼玉、群馬、茨城、千葉には大型の前方後円墳がみられる。

古墳の周辺は掘った部分に水をためて濠(ほり)になっていることもある。
また、築造当時の多くの古墳はに墳丘の斜面に、石(葺石・ふきいし)が敷きつめられており、威圧感を与えるための装飾や墳丘の崩れの防止などが目的だと考えられている。また、天皇陵と言われている大型の古墳は墳丘が2段・3段にと多段構造になっているものや、濠が2重・3重になっているものもる。

研究者によっては、大和王権とのつながりを持っていない墳丘墓は古墳と呼ばない、とする人や、逆に墳丘を持たない横穴墓も古墳と呼ぶ人など、研究者によって 古墳の定義は様々。

数え方の単位は「基」1基、2基・・・

古墳の構造・名称

古墳の構造・名称
古墳といってもパーツごとに名称はある。名称を知っていた方が博物館・資料館の解説や専門家の話を聞くときにスムーズである。また意外と知らない古墳の内部や石室や棺の種類など中身だけでも時代によって様々な種類が存在する 
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古墳の形

古墳の形
「古墳」といえば教科書でよく見かける鍵穴型の「前方後円墳」が古墳界のスパースターだが、実は他にも様々な形がある。 前方後円墳だと思ったけど実は前方後方墳だった。円墳だと思っていたけど方墳だった。知らないより知っていた方が断然楽しい古墳の形にはどんな種類があるのか。続きを読む>>

古墳と埴輪

古墳を語るうえで切っても切れないのが埴輪(はにわ)。とぼけた顔したゆるいやつ。そもそもなぜ古墳と埴輪はセットなのか。何のために作られたのか。人身御供の身代わり!?
​など、埴輪の気になる疑問について解説 続きを読む>>