大仙古墳(だいせんこふん)仁徳天皇陵
英 語: Daisen Mausoleum/Daisen tomb
大仙古墳 |
基本情報
場所:大阪府 堺市堺区大山町
墳形:前方後円墳
製造時期:5世紀
大きさ:墳長 486m、前方部幅307m,前方 部高さ34m、後円部径249m、後円部高さ35.8m
三段築成、三重濠
埋葬施設: 竪穴式石室 318cm幅167㎝の巨大な長持型石棺(全堺詳誌)
埋葬品:ガラス椀と皿、甲冑、円筒埴輪、形象埴輪など
< <呼び方は/別名は>>
仁徳天皇陵(にんとくてんのうりょう)
大 仙陵古墳(だいせんりょうこふん)
大仙古墳(だいせん古墳)
< <誰のお墓?>>
宮内庁の治定では仁徳天皇の墳墓となっていますが最近の研究では継体天皇ではという見方が強い。様々な説があり語りきれないが、日本で一番有名な古墳と言っても過言ではない。
百舌鳥古墳群を形成する墳墓の一つ。伝仁徳天皇陵。
『古事記』には「御陵は毛受(もず)の耳原にあり」、『日本書紀』には寿陵であったと記され、 「(八十七年)冬十月の癸未の朔己丑に、百舌鳥野稜(もずののみささぎ)に葬(はぶ)りまつる」とある。『延喜式』諸陵寮には「百舌鳥耳原中陵。在和泉国大鳥郡。兆域東西八町。南北八町。陵戸五烟。」と記されて いる。陵名の由来は、陵墓造営中に野から鹿が走り込んできて絶命。その鹿の耳の中からモズが現れたことから地名を「百舌鳥耳原」と名づけられる(なお、モズは大阪府の鳥である)。また、この古墳の北と南にも大古墳があり(北陵は反正天皇陵、南陵は履中天皇陵)、「中陵」と名づけられて いる。 (wikipediaより引用)
地元の方々には「ごりょうさん」と呼ばれ親しまれている。
アメリカボストンの仁徳陵出土品
アメリカのボストン美術館に仁徳天皇陵出土とされている銅鏡や環頭大刀などが収蔵されている。これらの 品は、1908年(明治41年)には既に博物館に所蔵されていたようで、梅原末治によって紹介されている。鏡は細線式獣帯鏡で、青龍、白虎、玄武、朱雀などの霊獣を細線で表しており、後漢製の舶載鏡と推定される。しかし、百済の武寧王陵から同種の鏡が発掘され、中国の南朝での製品という可能性もある。また、この鏡は、百済王より七支刀と同時に奉られた七子鏡であるとする説もある。大刀は、刀身が折れて欠失しており、長さ23センチの把(つか、柄)と環頭(柄頭)が残っている。環頭は鋳銅製、金鍍金で、環の内側には竜の頭部を表し、環には双竜を浮き彫りにしている。把には連続した三角形の中に禽獣を浮き彫りにした帯状の飾り金具を付けている。この類似品は朝鮮半島南部の新羅や任那の古墳から出土している。宮内庁書陵部の研究によると、これらの出土品は、ボストン美術館中国・日本美術部勤務であった岡倉覚三 (天心)により、1906年(明治39年)に京都で購入された可能性が高いという。また、実年代は「6世紀の第1四半期を中心とした時期」であり、古墳の築造時期とずれがあるという (wikipediaより)
発掘されているのか?】
世界遺産
堺市が世界遺産登録に向けて大型キャンペーンを実施しているが、誰の墓なのか決まっていない不明瞭さか ら候補にもな れていないのが現状 ※2019年に登録決定
【アクセス】
阪和線「三国ヶ丘駅」から徒歩7分
「百舌鳥駅」から徒歩5分
JR「堺」駅から徒歩35分
上石津ミサンザイ古墳(かみいしづみさんざいこふん)
上石津ミサンザイ古墳・履中天皇陵 |
基本情報
場所:大阪府堺市西区石津ヶ丘【地図】
墳形:前方後円墳
製造時期:5世紀初め
大きさ:墳丘長さ365m、前方部幅235m、前方部高さ25.3m、後円部径205m、高さ27.3m
三段築成、西側に造り出しあり、前方円墳
百舌古墳群を構成する墳墓の一つ。大きさは全国第三位を誇る。宮内庁治定 第17代履中天皇陵 百舌耳原南陵。個人的には上空からレーザー計測をした際の墳形がとても美しいので古墳美人ランキング1位の美古墳である。
【アクセス】
阪和線「上野芝」から徒10分
百舌・古市古墳上空を飛んでみた
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