基本情報
葦間山古墳 |
名称:葦間山古墳(あしまやまこふん)
場所:茨城県筑西市徳持 【地図】
墳形:前方後円墳
製造時期:4世紀末~6世紀
大きさ:全長141m、後円部径82m、後円部高10.5m、前方部高3m
葦間山古墳の周辺環境と現状
小貝川と五行側が合流するY字地点の小貝川沖積低地、東側に位置する。
周囲は平坦で現在は畑、住宅地、道路によって周囲を囲まれている。
南側の墳丘は畑として利用されているようで、変形していると思われる。
後円部南側・・・道路のため削平
前方部・・・畑として利用するために変形
前方部南側・・・道路のため削平されていると思われる
墳丘には稲荷神社が祀れれているため、南側の裾には鳥居が設置され参道が伸びる。
墳丘について
測量調査の結果は前方部を南東に向けた前方後円墳と考えられる。後円部は墳丘北側の裾部が長さ約60mにわたって削り取られていたが、西側の裾は旧状をとどめているようで標高27m~27.5m付近に傾斜変換線が弧状に巡るのが認められた。北よりの部分は宅地との境界で浅い溝となっているが状を留めているようで、標高27m~27.5m 付近に傾斜変換線が弧状にめぐるのが認められ. た。北よりの部分は宅地との境界で浅い溝となっているが、この線を墳丘の裾と考えてよいと. 思われる。後円部東側の削られていない部分では、標高27.50 m付近に 傾斜変換線が認められる。
北側の上り口となっている部分が若干変形しているものの、裾べとしては問題ないだろう。
後円部墳丘傾斜では参道や西側斜面の数か所の窪地のほか後円部の南東、前方部側の斜面の中腹の、幅8mほどの傾斜も緩慢なところも、後世の改変によるものと思われるが、それ以外の部分では目立った改変は見受けられないようである。斜面には部分的に傾斜の平坦化すつ所が何か所か認められたが、はっきりした段築面としてこれを把握することはできなかった。また葺石と思われるものは見られなかった。
墳頂部は標高37.5m付近から平坦化が始まり、参道で一部が削られてはいるが、径16~18mの遠景の平坦化を形成している。子の平坦面はほぼ中央に稲荷神社が建てられていて、建物の周囲が幾分低く聖整地されているため墳頂部最高点はその外側にあって、標高38.042mを測る。裾部からの比高は約10,5mとなる。墳頂平坦面の中心を通して、西側と東側で押さえられた裾部を結んで図ると後円部径は82mとなる。
くびれ部分は、後円部と前方部の境が長さ50mにわたって削られて、高いところで比高約2mを測る崖ができており旧状をうかがうことが難しい。この崖は後円部南側斜面まで続き、テラス状の平坦面を形成している。この下もさらに2段にわたって削られ径壇上の茶畑となっている。
東側では、後円部と前方部の境が、傾斜に合わせて若干削られているだけなので、南側に比べて変化は少ない。
※1991年筑波大学 古墳測量調査実施書 から引用
前方部には埴輪と思われる破片が散らばる。壺形埴輪、赤色塗彩の円筒埴輪も存在した可能性はあるが確実ではない。
アクセス
電車・バス:「下館」から徒歩30分
車 :県道14号線徳持付近を斜め左
*東京からのルートです。
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