天武・持統天皇陵|奈良県明日香村

天武・持統天皇陵
天武・持統天皇陵

基本情報

名称:天武・持統天皇陵(てんむ・じとうてんのうりょう)

場所:奈良県高市郡明日香村大字野口 【地図】

墳形:八角墳

製造時期:7世紀末

大きさ:東西約58メートル、南北径45メートル、高さ9メート 

資料館×、駐車場×、トイレ×

古墳の詳細情報

天武・持統合葬陵に比定。688年に天武天皇が埋葬。702年に持統天皇が埋葬。

壬申の乱(672年)に勝利し、律令性の基礎を築いた天武天皇とその皇后で次に即位し天皇として初めて火葬された持統天皇が合奏されている御陵(檜隈大内陵)である。墳丘は現在東西約58m、南北45m、高さ約9mの円墳場をなしている。鎌倉時代(1235年)に盗掘されその際の記録である「阿不幾及山陵記(あふきのさんりょうき)に墳丘・全室・墓室内の様子の記載がある。墳形は八角形※1で五段築成、周囲に石段をめぐらすという。切石積の石室は2室からなり、天武天皇の夾紵棺(きょうちょかん)※2と持統天皇の金銅製骨蔵器が納められている。

※1 八角形は道教の思想を強く受けていると思われる形

※2 木型の上に麻布を漆で何重にも貼り重ねて固めるた棺のこと。夾紵の夾(きょう)は布によって塞ぐの意で、紵(ちょ)は麻布の一種のことをいう。奈良時代はこの麻布を漆で塗り固める技法を即、塞(そく)といった。

【アクセス】

電車:近鉄吉野線「飛鳥」 下車  東へ0.8km

バス:「天武・持統陵」下車

コメント