2014年1月25日
明治大学で行われた講演会に行ってきました。
講演会の詳細>>
講師:白石 太一郎氏
内容:ヤマト王権の系譜問題を、王墓と想定される畿内の大型前方後円墳のあり方から考える
要するに、古墳の位置と大きさ、考えられる被葬者から、ヤマト王権の「主」がどう移り変わっていったのか、考えてみよう、ということです(多分)
ついでに箸墓古墳がなぜ卑弥呼の墓と言われているのかも、さくっと説明しますよ、ということです(多分)
感想:2時間という短い時間ながら、壮大なデータを分かりやすく説明いただきました。
専門用語はほとんどなく、考古学的なことはさっぱりな自分にもよくわかりました。
合間に、日本考古学会の裏話や(昔は、偉大な先生が研究している分野は、若手研究者はテを出しづらい等)、反対意見をユーモアを交えて牽制する場面などもあり、ぷっと笑える一幕もありました。
面白くて分かりやすい。
印象的だったのは「古墳」とは何かということです。
白石先生の定義する古墳とは「複数の勢力が、王権の象徴として造り上げた墳丘墓。箸墓古墳が『古墳』の始まりであって、それ以前に築造されたホケノ山は大きくても、帆立貝式であっても、『古墳』と呼ぶべきではない」とのことだそうです。
先生曰く「古墳」は学問用語。
古墳の定義は研究者によって違うようです。
あるポリシーをもって「古墳」と呼ぶのであれば、いいけどね、的なお話をされていました。
仏式ではない、古いお墓は全部「古墳」だと思っていました。
すいません"(-""-)"
古墳以外の古いお墓はなんと呼べば良いのか・・調べてみました。
「墳丘墓」とか単純に「墓」とか呼ばれているみたいですね。
自分のHPにある「古墳のかたち」コーナーでは四隅突出墓とかヤマト王権成立以前の墓も紹介しています。
えっ、じゃあタイトルを「古墳のかたち」から「墳丘墓のかたち」に変更せねばならぬのか??
横穴墓は「古墳探訪記」に入れるべきではないのか??
などと、ぐるぐる考え出したら止まらない。
「古墳」とは何か、「古墳」とは、、コフン、、、、。
自分にとっての古墳とは、、、、。
自分には古墳ポリシーなどあるのか。いや、無い。
うーん。
うーーーーん。
普段悩まない頭をいっちょまえに悩ませてみて、着いた先が
行って、見て、わくわくするなら
それが自分にとっての古墳じゃね!??
という結論になりました。
自分、研究者でもなんでもないので、まぁ深く考えずに、自分なりに古墳を大事にし、愛でればそれで良いんでね?という開き直りに落ち着きました。
今後も楽観主義で、うらうらとマイペースに「古墳」を愛して行こうと思いました。
補足:講演内容を自分の言葉で、超短縮して書いているので、伝わりにくい、または、もしかしたら先生の本来の意図している事とは違うかもしれません。
ご了承下さい。
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