静岡県沼津市の古墳

 静岡県沼津市には高尾山古墳を始め、山神古墳、子の神神社古墳、神明塚古墳、長塚古墳など名だたる古墳が群れている。

子の神古墳

名称: 子の神神社古墳(ねのかみじんじゃこふん)

場所: 〒410-0007 静岡県沼津市西沢田 

墳形:前方後円墳

製造時期:4世紀頃

大きさ:全長48m

子の神古墳
子の神古墳

前方部に子ノ神社があり、後円部には盗掘坑もあるので形はかなり崩れている。長塚古墳・神明塚古墳とともに、古墳時代初期のもので貴重な古墳である。

ーーーーー現地案内板より抜粋ーーーーー

前方部に子ノ神神社があり、後円部には盗掘坑もあるので形はかなり崩れていますが、長塚古墳・神明塚古墳と共に、この地域への古墳文化の普及を知るうえで 貴重な古墳です。

発掘調査は行われていませんが、昭和三十一年に長塚古墳の発掘調査を行ったときに、子ノ神古墳でも測量調査が行われ、規模などがわかりました。また第二次大戦中に防空壕が掘られたとき、副葬品と石室の一部が発見されたといいますが、詳しいことはわかっていません。この古墳に葬られた人は、その規模から当時の駿河の国の有力な豪族だと推定され、その権力を誇示す るために前方後円墳を造営したと思われます。

ーーーーー抜粋ここまでーーーーー

子の神古墳

長塚古墳

名称: 長塚古墳(ながつかこふん)

場所:  〒410-0002 静岡県沼津市東沢田409−2

墳形:前方後円墳

製造時期:5紀後半~6世紀後半

大きさ:全長55m、前方部幅17m・高さ3.5m、長さ23m、後円部直径32m・高さ2m、周濠幅10m・深さ0.8m

長塚古墳
周辺は古墳公園として整備されている。墳頂にはタイヤで作った遊具があり(おそらく無許可)地域住民の生活に密着しているようだった。訪問時に小学生がノートをもって案内板を書き写しておりおそらく宿題か授業の一環で調べていたのだろう。古墳教育、素晴らしい。

ーーーー現地案内板から抜粋ーーーー
この古墳は子/神古墳、神明塚古墳とともに市 内に残る三つの前方後円墳のうち最も原形をと めている古墳です。 昭和三十一年八月、明治大学の故後藤守教授(沼津出身)によって発掘調査が実施され、墳丘及び中腹部に二段の円筒埴輪列が認められました。後円部の内部主体は盗掘され、鉄製の鮮身の残片と石片が得られただけでした。しかし墳丘南側の周溝から多くの土師器や須恵器が出土し、祭事場の存在が推定されます。 これらの遺物と墳形から被葬者は古代駿河地方の大豪族と考えられています。
ーーーーーー抜粋ここまでーーーーー
長塚古墳

神明塚古墳

名称: 神明塚古墳(しんめいづかこふん)

場所:  〒410-0874 静岡県沼津市松長字上ノ段364

墳形:前方後円墳

製造時期:5紀後半~6世紀後半

大きさ:全長54m

神明塚古墳
神明塚古墳

海から約1.1kmと一番近くにある古墳。墳頂に神明神社があることから神明塚古墳と呼ばれている。古墳の上には神社が作られがちだがこの地方の人は特にもれなく墳頂に神社を作っている。

ーーーーー現地案内板より抜粋ーーーーー

神明宮古墳は前方後円墳で周囲に堀をめぐらせています。神明嫁の場合は、後円部の方が前方部より高くやや古い形をしています。前方部のまわりが崩れていて周囲の堀も大半が埋没していますが長さが五十四メートルにもおよび沼津市内では最大の古墳です。金剛地区にある長塚古墳と共に市内に残されている三つの大きな古墳の 一って年代的にもそれぞれ五世紀末から六世紀前半代のものと推定されています。昭和45年2月に市の指定史跡となっている。

ーーーーーー抜粋ここまでーーーーーー

山ノ神古墳

名称:山ノ神古墳(やまのかみこふん) 

場所:  〒410-0303 静岡県沼津市西椎路645−43

墳形:円墳×2 

製造時期:6~7世紀

山ノ神込み古墳

現在西椎路の山神社の境内に2基の円墳が並んで残っている。保存状態は良いほうだが調査はされていない為詳細は未定。2基残っており両方の墳頂に社が建っており山神神社に利用されている。

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