世田谷区等々力渓谷と周辺の古墳を散策する

箸の日 先負 薄曇り
世田谷区といえば東京の高級住宅地。都会OF都会。
そんな都会のど真ん中に渓谷があるのはご存じでしょうか?
東京23区内唯一の渓谷だそうです。
今回は高級自宅地にある都会のオアシス「等々力渓谷(とどろきけいこく)と周辺の古墳を散策しました。

東急大井町線「等々力」下車徒歩5分
商店街から階段を降りるとそこは別世界。
あっという間にマイナスイオン。
等々力渓谷
 谷が轟く山ということで等々力渓谷という名がついたそうです。
川は谷沢川という名前。この谷沢川に沿って、古墳が点在しています。
 しばらく都会のオアシスを楽しみながら等々力渓谷を半分過ぎた所で階段を上り住宅街へ戻ります。
300m程度で世田谷区が誇る野毛大塚古墳です。


野毛大塚古墳

野毛大塚古墳
 周辺は公園として整備され、古墳自体はキレイに修復され埴輪が配置されています。
形状:帆立貝古墳
築造時期:5世紀初頭
大きさ:全長82m、後円部直径67m、高さ11m
東京都指定史跡
埋葬施設:粘土槨および竹形木棺
この、使われていない感満載の階段を上り墳頂へ。


墳頂からの眺め
造出部分に整然と並ぶ埴輪が美しい。また渓谷へと戻ります。この野毛大塚古墳だけでなく渓谷の中にも見どころはあります。

東京都指定史跡 等々力渓谷3号横穴

築造時期:7世紀ごろ
大きさ:13m
埋葬施設:玄室(げんしつ)・羨道(せんどう)の部分とそこに至る通路である前庭部(ぜんていぶ)で構成されており、横穴部は羨門で区画されています。

横穴墓3号
墓室内には3体以上の人骨が埋葬され、静岡県湖西地方産の須恵器(すえき)や土師器(はじき)、耳環(じかん)=イヤリング、ガラス小玉などが副葬されていました。また、2号横穴から出土した土師器は、当時都であった大和(奈良県)で使われていたもので、この横穴に葬られた人物が、都(みやこ)に遥役(ようえき)で働きに行ったことが推定される貴重な資料となっているそうです。







瀧です。この瀧が轟いているので等々力。昔も今も修験者が修行に来るそう。
今は・・・残念ながら轟くほどではありません。






等々力不動尊

等々力渓谷の終着地点、または出発地点に位置する等々力不動尊。








東京都指定史跡 御岳山古墳

等々力不動尊の反対側の道路に御嶽山古墳という古墳が存在します。
形状:帆立貝式古墳
築造時期:5世紀半ば
大きさ:全長54m、後円部直径40m、高さ7m
墳帳にはほこら
出土品:鉄製短甲2両や鉄製武器など

御嶽山古墳
階段の両サイドには様々な形状の小さな仏像が並んでいます。少し前まで仏教の宗教施設だったのでしょうか。

御嶽山古墳の石碑

※現在は立ち入り禁止となっていて墳頂には行けないそうです。 ここまで駅からのらのら歩いて1時間半。等々力駅へ戻ります。本気で歩いたら15分で駅に到着。

玉川大師玉真密院

世田谷から二子玉川へ移動します。玉川大師。地下霊場で有名です。
お遍路は四国八十八か所をめぐる過酷な旅です。
その過酷な旅と同等のご利益がなんと東京でしかも僅か10分程度で完了できてしまうというのが玉川大師の地下霊場。
地下5m、全長100mにも及ぶ国内有数の地下霊場です。
玉川大師

弘法大師の像
地下の零場は写真撮影禁止でした。本堂から地下へ潜ると最初は薄明るい状態でしたが進むにつれて真っ暗に。本物の闇で一寸先も闇の状態を初めて体験しました。本当に闇なので壁に沿って進むとまた薄暗い場所に出ます。
仏像が12体あり自分の干支の仏様にお祈りをしました。
外の弘法大師像。でかい。世田谷区界隈の古墳散歩でした。